「やり切る」ということ

やり切る=「何かに対し自分は本気・全力を出してやり遂げた」と思えること

 

私はあんまりやり切ったと思えることが少ない。

 

そこそこでいいや(これも周りと比べて人並みかどうかみたいな他人の評価軸で良し悪しを考えてる弊害)と思ってしまう。本気を出すのがカッコ悪いという、小学校くらいから続く古き悪しき幼い考えがまだ染み付いてるのかもしれない。または、及第点とれればOKという高校・大学受験特有な考え方がまだ残っているかもしれない。

本気・全力を出さないと「まだ、本気出してねーし」という最強の言い訳もできる。本気を出しても大した結果が出なかったときの自分を想像して、ダサい・恥ずかしい思いをするくらいなら出さない方がええやろという思いが根源で、失敗に対する恐怖が潜在的にあるんだと思う。これは大きな間違いなんだけど。

 

しかし、やり切った経験は自信につながる。自分の全てをかけて取り組んだことって自分の中でも低評価をつけにくい。失敗したとしても自分の100%を出しても及ばぬことがわかるから、努力して伸ばすべきポイントが明確に分かる。

本気・全力を出さず取り組んでも、良くて人並みの結果が得られた、という結果はあまり重要では無い(こんなもんでも人並みにできるんか、と慢心してしまう場合もあるかもしれない)。問題は失敗した場合、その原因が力を抜いたためなのか、100%の実力であっても不足していたためか分からず、うやむやなまま終わる。結果としてより良くするにはどうすればいいか考えたときの具体案が「とりあえず本気を出す」になって成長の機会を失っている可能性がある。

これを繰り返すことでやり切る人とそこそこでやっている人の差は経時でどんどん大きくなると考えられる。

しかも、やり切らず妥協することが習慣になってしまったら「やり切ること」自体ができない体になってしまう気がする。

 

ではやり切るためには何が重要か。経験則的には

・目標を高く持ちすぎない。持ってもいいけど小目標に分割する。途中で心が折れるリスクを減らす

・信頼できる師を見つけ協力を仰ぐ 全力を出すサポート?一人で解が出ないときに相談できるように

・ライバル 切磋琢磨によるモチベーション向上→継続につながる

・夢中になる 集中 一時的に意図的に視野をせまくして取り組む。周りの雑音を減らして1つのことを深く掘りすすめる

 というところかな。。

 

プライベートでは、まずは自分がやり切りたいと思える何かを探すところから始まる気がする。そのためには、思考を巡らせるだけじゃなくて、行動して経験しなくてはね。