説明に必要なこと

昔から他人に物事を説明することが苦手だった。

頭ではイメージが割としっかり出来上がっているんだけど、うまく言葉にして伝えられない。大抵、後になってあー言えばよかったかも...ちょっとミスったなぁとかよく頭を抱えていた。

 

学生まではこんな具合だったけど、サラリーマンになってからは、誰にでも要点を分かりやすく伝える「説明力」が必須となり、業務を通して学生の時よりは圧倒的にスムーズに、シンプルに伝えられるようになった(サラリーマンをやる中では絶対に必要なスキルだが、訓練次第でどうとでもなるものでもあると思う)。

仕事を進める上ではユーモアはあまり求められず、しっかり相手に伝わればそれで基本OKである。「他人にしっかり伝わる」伝え方は、本当に必要な情報だけを整理して、数パターンくらいの「構文」にあてはめ言葉にすればどうにかなる(交渉事はまた少し違うと思うけど)。文章だけ見ると簡単そうだが、伝えたい必要な情報の取得には執着する必要がある。しかし、そこさえ抜け漏れなく抑えられたらあとは簡単な気がする。

 

でも、日常での雑談、食事中の会話はまだ下手っぴだ。話が冗長になったり、逆に言葉足らずだったりで、自分で満足して話せた〜!と感じた事はほぼない。これに関して、なんでだろうと考えてみたのが今。

自身で考える原因のひとつ挙げるとするなら、自身が何かの物事を体験中に、他人に話す時のことを想定せずに向き合っていることが常だからだと思う。すなわち情報の取得への執着不足だと思う。情報を掴み取りきれていないので出来事の解像度が低く、色々と要素が欠落したりボヤけていて結果的に分かりにくく伝わらない話になってしまうのだと思う。

これを言い換えてみると事象への理解度だと思う。話したい事象を「本当に分かって」いるならば誰にでもどんな状況でもそれを正確に伝えることができるはず(よっぽどの口下手でない限り)。自身の喜怒哀楽の基準が世間の人々と同じであると仮定すると、聞き手に正確に事象が伝われば、悲しいものであれば聞き手も悲しい気持ちになり、面白い事象ならば聞き手には笑いが込み上げるはず。しかし、事象を分かったと思い込み、実は言葉で説明できない不十分な理解で満足してしまって、結局伝えきれない話し方になってしまっているのだと思う。

うまく話そう、面白くテクニカルに話そう、の前に、まず伝えたいことを自分の中で十分理解しようということが大切だ。